2007年04月11日

今度は5億

西武だけじゃないとは思っていたけど、横浜も意外と金持ちだ。

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プロ野球横浜、那須野投手に5億超の契約金=「差し止める気はなかった」球団社長
4月11日19時31分配信 時事通信


 プロ野球・横浜の佐々木邦昭球団社長は11日、2005年にドラフト自由枠で入団した那須野巧投手(24)に、1994年に12球団で申し合わせた「最高標準額1億円プラス出来高5000万円」を大幅に超える契約金5億3000万円を支払った事実を明らかにした。また、1年目の年俸が同1500万円の倍となる3000万円だったことも明らかにした。12日発売の一部週刊誌の報道を受けて認めた。西武の裏金問題で球界が揺れる中、また新たな不正が発覚した。
 昨年3月に日産自動車から就任した佐々木社長は「入社してすぐに事実を知った。04年の契約に基づいて行われたもので、(支払いを)差し止める気はなかったが、現在は遺憾に思っている」と話し、最初に1億3000万円を払い、その後今年1月まで、4回に分けて1億円ずつを支払ったという。
 同社長は05年6月に採択された倫理行動宣言以降は「上限を超えて、(契約金を)支払った事実はない」とした。那須野選手に対しては「選手に全く責任はなく、ペナルティーも考えていない。球団として今後もフォローしていきたい」と語り、自身の進退は「考えていない」と話した。今後は、西武球団が裏金問題で開いている調査委員会の最終報告を参考にして、球界全体で話し合いをする意向を示した。
 また、那須野投手の出身大学である日大監督が横浜に高額の謝礼金を要求し、3000万円が同監督に渡ったとの報道があったことについて、同社長は「契約金が(その後)どういうふうに動いたかは球団は把握していない」と話すにとどまった。 

yahooニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070411-00000135-jij-spo


posted by まつさか at 23:20| その他の野球情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イチローへの初球

配球まで前もって明かすこともないだろうに。
松坂は明日の対イチロー初球を「ボール」にすると言っているようだ。

そういえばメジャー1球目は「ストレート」を宣言して、見事に打たれなかった。

これも心理作戦なのだろうか。
今夜が待たれる。


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松坂イチローに予告「初球はボール」
4月11日9時59分配信 日刊スポーツ



試合前にあいさつを交わすイチロー(左)と松坂(撮影・加藤仁)

 【ボストン(米マサチューセッツ州)9日(日本時間10日)=山内崇章】レッドソックス松坂大輔投手(26)が、フェンウェイパークのマウンドに初めて真新しいホームのユニホーム姿で上がり、本拠地初登板へ向け47球の最終調整を行った。11日(日本時間12日午前8時5分開始)のメジャー2度目の登板はマリナーズ・イチロー外野手(33)との対決になる。松坂は「イチローさんは初球から振ってくる気がする」として、あえて「ボール球」からの配球を考えていることを明かした。
 フェンウェイパークに車で乗り込んだ松坂は、すがすがしい笑みを浮かべていた。メジャー最古のスタジアム、あこがれのマウンド。11日のマリナーズ戦、対イチロー、これから始まる本拠地での戦いを頭に描くように、ゆっくりとクラブハウスへ足を向けた。
 約1時間半の練習は、報道陣を完全にシャットアウトした中で行われた。関係者によると、マウンドには真新しいホーム用のユニホームで上った。初球からカーブを投げ、フォームの安定性を確かめた。計47球、直球と持ち球の変化球すべてを投げ込んだという。前回5日の初登板への調整と変わらない、自分のリズムでマウンドの感覚と肩ひじの状態を入念に確かめたという。
 松坂が、以前から最も楽しみにしていたイチローとの対戦については、00年以来、6年の空白を埋めるイメージが膨らんでいた。
 松坂「初球は(捕手の)バリテックが何を要求するかにもよります。イチローさんは初球から振ってくる気がする。ストレートで入ったら簡単に打ち返されるイメージがあります。ボールから入るのが無難ですかね。でも多少のボールでも振ってくるような気がするんです」。
 記念すべきメジャーデビューの初球については、2月のキャンプ中から「直球」を予告していた。それでも、「平成の名勝負」といわれ、今回7年ぶりの再戦となるあこがれのイチローとの対決には、勝負を考えている。あえて自分が最も得意とする直球での入りを決め付けることはしなかった。
 松坂「初球をファウルにしてくれたら第1段階はクリア。入りはとても重要です。変化球のボール球で入ってその後の組み立てを考えるやり方もあります」。
 99年の5月16日、初対戦で3連続三振を奪った際にも、最初の2打席の初球はボール球、3打席目も内よりのボール球をファウルにさせた。ただ「あのときの僕と今の僕は違います」とも松坂は語る。
 松坂は、イチローとの対戦で成長してきた過程もある。イチローとの対決は、今の自分の仕上がり、大リーグでの「位置」を客観的に知る上での絶好の機会でもある。松坂はそれを楽しみにし、そして勝つための配球を真剣に考えていた。
posted by まつさか at 11:13| その他の野球情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西部球団にぜひ読ませたい・・・

asahi.comの記事だが、こんな部分がある。

・奮闘努力せよ。負けても、負け惜しみをいうな。

・競技は公明正大に。卑怯なことをするな。

・プレーを楽しめ。自分より優れた相手を敵視するのではなく、師とせよ。

・練習は学業の暇にせよ。練習はさっさと始め、終わったら速やかに去れ。

・審判には服従せよ。人は神に非ず。ときに判定に誤ることもあるが、異議を唱えず、冷静さを保て。・・・

公明正大。卑劣なことをするな。

まさに今の球界に必要な言葉ではないだろうか。

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日本野球の父たち
2007年04月10日 asahi.com

 明るい球音が響くシーズンになると、私はいつも思い出す。アメリカは北東の端、メーン州ゴーラム村のウィルソン農場だ。素朴、勤勉、誠実、明朗…。人々の暮らしは、いまも昔と変わっていないのではないか。

 日本野球の父、ホーレス・ウィルソンはその酪農一家の次男だった。南北戦争のあと、日本政府の外国人教師の募集に応じて、明治4年8月に日本にやってくる。28歳だった。

 教えたのは主に数学と英語。いまでは東大になっている学校は、当時は南校と呼ばれていたが、やがて第一大学区第一番中学、開成学校、東京開成学校などと名前を変える。

 外国人教師たちは、日本人学生のまじめさや礼儀正しさに驚きながらも、戸外での運動の不足からくる不健康な生活を心配した。明治5年、ウィルソンは生徒たちを外に引き出す方法として、彼が南北戦争中におぼえていたベースボールを教え始める。

 「この人(ウィルソンのこと)、常に球技を好み、体操場に出てはバットをもちて球を打ち、余輩にそれを取らせて無上の喜びとせしが…」とは当時の学生だった人(「好球生」)の述懐である。

 このあと、ベースボールはこの学校の「校技」として発展。「野球」の訳語を得て、さらに日本独自の高い精神性のスポーツとして日本全国に普及しているのはご存じのとおり。

 しかし、ホーレス・ウィルソン先生のみが「日本野球の父」だったのかというと、そうではない。実は明治8年、ここにもう一人、ストレンジという教師がイギリスからやって来る。英国デボンシャー州出身で、20歳になったばかりの元気者だった。

 彼もスポーツに万能だったが、特に得意だったのがボートとクリケット。ウィルソンの影響で、ベースボールも楽しんでいる。

 しかし、ストレンジ先生の功績をいうなら、スポーツの技術よりもスポーツマンシップを学生たちに伝えたことだろう。その教えの中心を、いくつか取り上げてみよう。

・奮闘努力せよ。負けても、負け惜しみをいうな。

・競技は公明正大に。卑怯なことをするな。

・プレーを楽しめ。自分より優れた相手を敵視するのではなく、師とせよ。

・練習は学業の暇にせよ。練習はさっさと始め、終わったら速やかに去れ。

・審判には服従せよ。人は神に非ず。ときに判定に誤ることもあるが、異議を唱えず、冷静さを保て。・・・

 ウィルソン先生だけでは、日本野球はいまのようにはならなかった。ストレンジ先生がいてこその話だった。この二人が遠くから来られて、同時に同じ学校にいてくれたことが幸いだった。また、その教えを学び、次代に伝える人がこちらに常にいたこともよかった。

 プロを中心としたアメリカ野球とは違って、学生スポーツとして発展してきた日本野球。これはまさに世界遺産ものではないか。
posted by まつさか at 09:13| その他の野球情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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